第34回 あなたのその行動「愛」からですか?
それとも「恐れ」からですか?
4月になりましたね
いかがお過ごしでしょうか?
私は
この時期
桜の花、菜の花、チューリップ、ツツジ、梅など
春の色々な花と
ミツバチの姿や、鳥の鳴き声を一年で一番楽しんでいます。
しかしながら
20年前位
私は「花や自然」にほとんど興味など無く
自分のことでいっぱい、いっぱいで
周りを楽しむ余裕もありませんでした。
その頃の自分に
もし、会うことが出来たら
伝えてあげたい言葉が沢山ありますが
その頃の私はきっと
拒否するでしょう。(笑)
自然の美しさを見ても
何も感じなかった私でしたが
ふとした出会いやきっかけで
より良い変化を手に入れました。
この文章を読まれている方も
同じような経験をされた方も
いるのではないでしょうか?
春は、出会いや始まりを表す
そんな季節であるかもしれませんね
そして
新元号となるこの年の4月は
色々な出来事やニュースがあったように思います。
昭和の時代に名を残した有名な俳優さんの他界
そして、野球界でもイチロー選手の引退
新たな時代の幕開けを感じます。
§§
先日、海外でいる友人が感慨深いメールをくれました。
どのようなことかを言うと、
海外の公園には、日本では絶対にありえない遊具があるそうです。
「海外の公園の遊具」と検索すると簡単に調べる事が出来ます。
(子供のみならず、大人でも
トラウマを背負いそうな危険な遊具等と紹介されています。)
『もし、子供が怪我をしたとしたら
日本ではニュースになったり
責任問題となり
誰かに対して、もしくは何かに対して
炎上しているだろう。。。。
しかし
こちらでは
子供達がきちんとそれらを知った上で楽しみ
ケガをしても訴えるなどということはまず無い』
と言っていました。
最初は友人自身も少し戸惑ったと言っていましたが
「あなたがそれをやるのは、あなたにリスク(責任)発生しますよ」
ということであり
ある意味、子供達は自分で考え
行動するかもしれない
そして
子供自身の責任能力(危険感知力)も
培いやすいかもしれないと考え直したそうです。
§§
危険な場所はあちこちに
§
ナイアガラの滝
行かれた方はご存じだと思いますが、
数メートル先はすぐに崖になっています。
もちろん柵等は無いので、
間違って落ちても自己責任となります。
以前、サンフランシスコの
ゴールデンゲート・ブリッジを訪れた時も
(結構、怖い高さがあります)
もちろんこの場所に警備員も
柵もなく
私は怖くて
近寄っての
写真撮影はしませんでした。
しかしながら
他の国の観光客の方は平気な顔で
楽しそうに
写真を撮っていたのを覚えています。
注意書きも無ければ、警備する人もいない
日本では考えられないように思います。
しかしながら
海外だけではなく
もちろん
日本でも
危険な場所は
たくさんあります。
車がたくさん通っている場所や
海や山
そして、
インターネット接続すると
危険な情報があるのは
確かです。
結局は
私達自身が
誰かの責任にする前に
それらについてしっかりと知り
責任を持ち
行動できる意志や判断する能力を
鍛えていく方が大切なのかもしれません。
§§
便利さ(強み)と危険(弱み)は表裏一体
日本人の強みは
「不確実性の回避」と言われているようです。
つまりリスクを避けようとすることです。
欠点、欠陥があることについて
とても敏感ということです。
完璧でありたいという肯定的な部分もあります。
そしてまた、安心、安全が第一となり
安易なチャレンジを選びやすくなります。
そして逆に強みは
リスクを避け続けることが出来ます。
ただ、リスクを避ける選択は
責任を取りたくない(誰かのせいにする)
失敗や非難を恐れ
変化しない状態を生み出します。
§§
失敗や非難を恐れる結果とは
他の人の目が気になる
人と同じじゃないといけない
「同調的圧力」も加わり
「誰かに貢献しよう」(肯定系思考)と考えるより
「迷惑をかけないようにしよう」(否定系思考)
「みんなと一緒なら大丈夫」(安心感)が働き
「多数派同調バイアス」「正常性バイアス」
言動、ふるまいも、過敏となってしまいます。
それは
愛より
他の人と違うという「恐れ」が
自分が失敗や非難の的にされない為の
「礼儀」や「美徳」となっています。
人を気遣えるのは素晴らしいですし
このような人は
決して嫌われることはないでしょう。
日本は「恥の文化」と呼ばれ
間違うことを恐れ
人の目を気にし
人と違う事を恐れ
迷惑をかけることを
極度に避ける習慣があります。
江戸時代から始まったとされる
「村八分」という風習が
この現代にも
いまだに影響していると考えられてます。
昔は、村から外されるというのは
死活問題
命に関わる程の問題だったのでしょう。
日本のある地域ではまだ
このような習慣が根強くあり
問題視されています。
そして
大なり小なり
あなたの身近にあるかもしれません。
現代なら
町の人が何も売ってくれなくても
誰も相手にしてくれなくても
ネット社会の広がりから
買い物や情報
そして
コミュニティもあり
出来事を
SNSで発信可能で
同じ状況の人達と繋がることもできます。
みんなと違わないこと
つまり同じであるということは
大切なこともあるのは確かでしょうが
極度に「仲間はずれにされる」という
考えや
恐怖、心配は
昔に比べると
もうあまり心配することではないように思います。
§§
八方美人は嫌われないが
信頼されなくなる
周りを想い
波風立たせないようにしていると
安全圏でいられるのは確かでしょう。
しかし
みんなに良い顔をしていると
結局
どの人の意見にも同意しないといけなくなり
都合よく合わせて
どっちつかずの状態が起こり
「適当な人」
「自分の意見がない人」
「つまらない人」という
イメージを与えやすく
知人や友人は多いものの
いざという時には
「信頼」に基づいたつながりはなく
孤立感を増すという結果もあります。
良し、悪しに関わらず
自分の意見は
言葉に責任を持った上で
きちんと伝えていく方が
あなたに共感する人が現れます。
もちろん
誰かに嫌われる可能性も充分にありますが
共感し信頼する人とは
しっかりと繋がり
孤独を感じる(孤立)ということは
無くなるでしょう。
(八方美人については次回のメルマガでお伝え予定です。)
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愛と恐れの行動とは
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怖いからそうするのか?
自分や周りの為になるからそうするのか?
仕事でも家庭の中でも
生きていく上で様々な行動が伴います。
それらの行動の中で
叱られるからやる(恐怖)
みんながしないからやらない(集団意識)
みんなに白い眼で見られるのが嫌だからやる(他人軸)
このような考え方からの行動は
「愛という名の元」ではなく
「恐怖」が
背後に存在しているように思います。
しかしながら
それをしてスカッとしたいからやる(快)
みんながチャレンジしないからやる(成長)
みんなに喜んでもらえるからやる(喜び)
これらの考え方の行動は
自分自身を豊かにし
満たしていくことになり
言い訳も少なくなり
自らが考え
成長し
自立していくのではないかと思います。
本来の愛の根源は
体の真ん中にある心で感じる
言葉にできないあたたかな想い
「真 心」の愛であるべきで
恐れ(恐怖)であるべきではないように思います。
新元号が始まる年この4月
新しい始まりの
フレッシュな時
新たな気持ちで
自分の体の真ん中で感じる
心の声と
向き合うと
新鮮な自分の
ワクワク感と
出会えるかもしれませんね
いつもご覧いただきありがとうございます。
この4月も素敵な月となりますように。